2010年05月28日
ネットの入口と出口
ネットのあちら側とこちら側が語られてからもう4年。
4年間に起こったことを上げるときりがない。
4年前はGoogleがintelの時価総額を抜き、Microsoftについでハイテクベンチャーの時価総額ランキングでは2位になった。
4年後、Googleは米ではFacebookにアクセス数を抜かれた。
4年後、Microsoftは時価総額でAppleに抜かれ、 appleはハイテク系時価総額で1位の座に就く。
FacebookとAppleに共通するものは何だろう。
それはネットの入口と出口をおさえに行っていることじゃないかと思っている。
入口とはコンテンツの入口である。
Facebookでいえば多くのユーザーによって毎日30億枚以上の写真がアップロードされている。
Appleはiphone os SDKを公開してから2年もたたないうちにおおよそ20万本近くのアプリが公開され、世界一ゲーム数を抱えるハードになった。
出口とはユーザーとコンテンツの接点である。
Facebookは5億人のユーザーが毎月アクセスをし、その半分が毎日アクセスをして、ついにはアクセス数でGoogleを抜き去った
iPhoneの販売台数は5000万台を超え、ipod touchを含めると8500万台と1億台に近づきそうなプラットフォームになっている。
プラットフォーム。
よくプラットフォームの議論になる際に入口と出口はごっちゃにされる。
入口と出口が同じプレイヤーになるとは限らない。
たとえば、Facebookで、日本人のTLをみると、過半数の人がtwitterからつぶやきがアップロードされている。
FourSquareの位置情報フィードはFoursquare上よりもFacebook上やTwitter上で見かけることが多かったりはしないか。
短縮URLサービスはbookmarkの入口として機能していく片りんを見せている。ニュースコンテンツをはじめ、多くのwebURLが短縮URLを介することで短縮URLサービス自体が特定分野の入口となる可能性を秘めている。
1つの仮説として、入口はそのコンテンツに最適なアプリケーションが存在し、大きくなっていく可能性がある。
APIやシングルサインオンなどの文化が浸透し始め、webサービス間のゆるい連携が可能になってきた昨今、出口側はそれを受け付けることでよりコンテンツが集まるようになり、入口側はトラフィックとユーザーを稼げるので出口への開放へと向かっていくからだ。
では、入口と出口。
どちらがプラットフォームなのか。
それはもちろん、出口だ。
出口は限りなく1つに近づいていく。
いま個人の情報はFacebookに集まっている。
名前、性別、出身地、学歴、職歴、写真、動画、友人関係、イベントスケジュール、今何をしている?、今どこにいる?
クラウド、クラウドなんて話が盛り上がって久しい昨今だが、
BtoCでいえばクラウドの覇者は間違いなくFacebookだ。
そしてモバイルアプリケーションを集めているApple
ゲームや音楽、映画、ビジネスツールに、ライフワークツール。
そして、先日、日本では本日、そこに電子書籍が加わった。
そのiPhoneの時期OSにFacebookが組み込まれるという噂もある。
androidはすでに組み込まれている。
それは長年、一番のソーシャルグラフであったアドレス帳が1つのSNSに置き換えられるかもしれないことを示唆する。
面白いのはオープン戦略によって出口の主役の座を射止めたFacebookと、デバイスによって出口を抑えに行き、入口に大きな門番を立てながらもここまで成功してきたApple。
その戦略の違いだ。
もちろん、Facebookもちゃくちゃくと入口を抑えに向かっている。
あまり話題にならなかったが先月Facebookはある会社を買収している。
写真共有サービスのDivvyshot
この買収は何を示唆しているのだろうか。
Facebookはいままでのハイテク業界に巨人たちと比較して買収戦略のうまさが際立っている。
うまさというよりは、怖いぐらいクレバーといった方がいいかもしれない。
Facebookが最初に買収した会社
Parakey
彼らはwebのOSを目指していた。
3年前の買収報道のTechcrunchの記事といまのFacebookをみれば彼らが当時何を目指して買収したかは一目瞭然だ。
ユーザーの視点でみると、Parakeyは「OSにできることは何でもできるオペレーティングシステム」だという。これを訳せば「自分のデータを簡単に保 存して世界中で共有できる」ということ。Parakeyのほとんど全部はオープンソースで、ライセンス方式はFirefoxに似ている。Parakey は、ハードディスクにあるものすべて―メール、写真、ビデオ、レシピ、カレンダー―を扱うツールのためのプラットホームを目指している。実際、見た目はふ つうのウェブサイトで、ただしそれを編集することができる。ネットに繋いで、ファイルを次々クリックして、コンテンツを見たり、手を加えることさえでき る。さらに、世界中のみんなに見てもらいたいものにマークを付けることもできる。ふつうのウェブをサーフィンするのと同じように、誰にでも自分の Parakeyサイトを見てもらえる。特に嬉しいのは、オンライン上のParakeyが、自宅のPC上のParakeyと連絡して、Parakeyページ のコンテンツを自宅PCの最新バージョンとシンクロしてくれることだ。つまり、オフラインでもサイトを更新できる。
そして次に買収した会社、こちらは有名なFriendFeed
説明の必要なく、この会社の技術、メンバーこそが
いまのFacebookのソーシャルグラフの肝だ。
FriendFeedの創業者、Bret TaylorはFacebookのプラットフォーム・プロダクトの責任者で、さる4月に行われたF8で、social pluginの発表者でもあった。
もちろん、そこに風穴をあける可能性だってまだまだある。
2010年の1-3月の段階でOSの出荷台数でiPhoneをAndroidが抜いた。
(ただし、このトレンドが続くかはわからない。来月に発表があると噂の次世代iPhoneが発売を控えている)
1年前にブログPlatform on Platformという考え方を書いた。
hotなPlatformは移り変わっていく。
いま新しいwebサービスを作るなら、出口よりも入口をおさえにいくサービスがおもしろい。
もちろん、出口で覇者になるということはインターネットの世界に身を置くものとしては歓喜に沸くことなんだけど、それ以上に1番になれないと面白くない(笑
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4年間に起こったことを上げるときりがない。
4年前はGoogleがintelの時価総額を抜き、Microsoftについでハイテクベンチャーの時価総額ランキングでは2位になった。
4年後、Googleは米ではFacebookにアクセス数を抜かれた。
4年後、Microsoftは時価総額でAppleに抜かれ、 appleはハイテク系時価総額で1位の座に就く。
FacebookとAppleに共通するものは何だろう。
それはネットの入口と出口をおさえに行っていることじゃないかと思っている。
入口とはコンテンツの入口である。
Facebookでいえば多くのユーザーによって毎日30億枚以上の写真がアップロードされている。
Appleはiphone os SDKを公開してから2年もたたないうちにおおよそ20万本近くのアプリが公開され、世界一ゲーム数を抱えるハードになった。
出口とはユーザーとコンテンツの接点である。
Facebookは5億人のユーザーが毎月アクセスをし、その半分が毎日アクセスをして、ついにはアクセス数でGoogleを抜き去った
iPhoneの販売台数は5000万台を超え、ipod touchを含めると8500万台と1億台に近づきそうなプラットフォームになっている。
プラットフォーム。
よくプラットフォームの議論になる際に入口と出口はごっちゃにされる。
入口と出口が同じプレイヤーになるとは限らない。
たとえば、Facebookで、日本人のTLをみると、過半数の人がtwitterからつぶやきがアップロードされている。
FourSquareの位置情報フィードはFoursquare上よりもFacebook上やTwitter上で見かけることが多かったりはしないか。
短縮URLサービスはbookmarkの入口として機能していく片りんを見せている。ニュースコンテンツをはじめ、多くのwebURLが短縮URLを介することで短縮URLサービス自体が特定分野の入口となる可能性を秘めている。
1つの仮説として、入口はそのコンテンツに最適なアプリケーションが存在し、大きくなっていく可能性がある。
APIやシングルサインオンなどの文化が浸透し始め、webサービス間のゆるい連携が可能になってきた昨今、出口側はそれを受け付けることでよりコンテンツが集まるようになり、入口側はトラフィックとユーザーを稼げるので出口への開放へと向かっていくからだ。
では、入口と出口。
どちらがプラットフォームなのか。
それはもちろん、出口だ。
出口は限りなく1つに近づいていく。
いま個人の情報はFacebookに集まっている。
名前、性別、出身地、学歴、職歴、写真、動画、友人関係、イベントスケジュール、今何をしている?、今どこにいる?
クラウド、クラウドなんて話が盛り上がって久しい昨今だが、
BtoCでいえばクラウドの覇者は間違いなくFacebookだ。
そしてモバイルアプリケーションを集めているApple
ゲームや音楽、映画、ビジネスツールに、ライフワークツール。
そして、先日、日本では本日、そこに電子書籍が加わった。
そのiPhoneの時期OSにFacebookが組み込まれるという噂もある。
androidはすでに組み込まれている。
それは長年、一番のソーシャルグラフであったアドレス帳が1つのSNSに置き換えられるかもしれないことを示唆する。
面白いのはオープン戦略によって出口の主役の座を射止めたFacebookと、デバイスによって出口を抑えに行き、入口に大きな門番を立てながらもここまで成功してきたApple。
その戦略の違いだ。
もちろん、Facebookもちゃくちゃくと入口を抑えに向かっている。
あまり話題にならなかったが先月Facebookはある会社を買収している。
写真共有サービスのDivvyshot
この買収は何を示唆しているのだろうか。
Facebookはいままでのハイテク業界に巨人たちと比較して買収戦略のうまさが際立っている。
うまさというよりは、怖いぐらいクレバーといった方がいいかもしれない。
Facebookが最初に買収した会社
Parakey
彼らはwebのOSを目指していた。
3年前の買収報道のTechcrunchの記事といまのFacebookをみれば彼らが当時何を目指して買収したかは一目瞭然だ。
ユーザーの視点でみると、Parakeyは「OSにできることは何でもできるオペレーティングシステム」だという。これを訳せば「自分のデータを簡単に保 存して世界中で共有できる」ということ。Parakeyのほとんど全部はオープンソースで、ライセンス方式はFirefoxに似ている。Parakey は、ハードディスクにあるものすべて―メール、写真、ビデオ、レシピ、カレンダー―を扱うツールのためのプラットホームを目指している。実際、見た目はふ つうのウェブサイトで、ただしそれを編集することができる。ネットに繋いで、ファイルを次々クリックして、コンテンツを見たり、手を加えることさえでき る。さらに、世界中のみんなに見てもらいたいものにマークを付けることもできる。ふつうのウェブをサーフィンするのと同じように、誰にでも自分の Parakeyサイトを見てもらえる。特に嬉しいのは、オンライン上のParakeyが、自宅のPC上のParakeyと連絡して、Parakeyページ のコンテンツを自宅PCの最新バージョンとシンクロしてくれることだ。つまり、オフラインでもサイトを更新できる。
そして次に買収した会社、こちらは有名なFriendFeed
説明の必要なく、この会社の技術、メンバーこそが
いまのFacebookのソーシャルグラフの肝だ。
FriendFeedの創業者、Bret TaylorはFacebookのプラットフォーム・プロダクトの責任者で、さる4月に行われたF8で、social pluginの発表者でもあった。
もちろん、そこに風穴をあける可能性だってまだまだある。
2010年の1-3月の段階でOSの出荷台数でiPhoneをAndroidが抜いた。
(ただし、このトレンドが続くかはわからない。来月に発表があると噂の次世代iPhoneが発売を控えている)
1年前にブログPlatform on Platformという考え方を書いた。
hotなPlatformは移り変わっていく。
いま新しいwebサービスを作るなら、出口よりも入口をおさえにいくサービスがおもしろい。
もちろん、出口で覇者になるということはインターネットの世界に身を置くものとしては歓喜に沸くことなんだけど、それ以上に1番になれないと面白くない(笑
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2010年05月12日
BestからBetterへ Better is enough.
飲んで帰ってきた勢いで前の記事の続き。
GoogleからFacebookにネットの主役が変わるということはどういうことなのか。
それは言い方を変えれば
「Bestでなくていい。Betterでいい。」
ということなんだと思う。
検索エンジンを使って情報を探すということはある意味でBestを探すことだと思う。
たとえばいま僕がワインを買いたいとしたら、一番おいしいワインはなんだろう?
欲しいワインが見つかったら、一番安く売っているのはどこだろう?
価格比較サイトの需要も、もちろんそういった需要をとらえていると思う。
これは検索エンジン時代の情報の探し方ともいえる。
Bestを探す。一番良いページはどれ?
じゃぁ、Facebookの友人たちがTimeLineに流していく情報が起点になるっていうのは言い換えれば別にBestじゃなくてもいいよ、でも彼が進めているからWorstでもWorseでもなくて、Betterでしょ?じゃぁいいじゃん。
彼がおいしいって言ってるし、彼女もおいしいって言ってる。
じゃぁ、Bestじゃないかもしれないけど、きっとBetterだ。
Google Newsでいま起きているニュースを隈なく見ている人ってどれぐらいいるかな?
実は結構TimeLineに流れてくる、自分の交友関係やfollowしている人たちが気になったニュースだけで事足りることないかな?
全部の情報を見ないと気が済まない。
全部の情報の中からBestを選ばないと気が済まない。
たしかに、それが10とか100の中からならまだそうかもしれないけど、
それが1000になって10000になって、なんて増えていくと、
Betterでいいよね、ってなることってないかな。
GoogleからFacebookに移っていくってことはそういうことじゃないかな、と思うし、ソーシャルが変えていくことはそういうことだと思う。
多くの人が使うデバイスがPCからSmartPhoneを含めた携帯に移っていくと、残念ながらPCのようにあっちのページも、こっちのページも見て回る、昔でいえばネットサーフィン的なネットの見方っていうのはちょっとイラっとしてしまう。
回線速度の問題もあれば、処理速度や、ディスプレイの大きさもあると思うけど、ネットの利用端末が携帯中心になることを止めるほどまでのわずらわしさではない。
となると、よりBestを探すことへのあきらめは強くなり、Betterでいいじゃんってことになっていくんじゃないかと思う。
Facebookには月間7000万人以上の人が携帯からアクセスしているし、毎日その半分の3500万人の人がアクセスしている。
すでに携帯大国である日本のNo.1キャリアより多い。
Facebookがいう
「Webのあらゆる場所がアクセスした瞬間からソーシャル”という状態を
作り出したい」
というのは
Betterであればいいじゃないか、という世界をゲームにも、ECにも、ニュースにも、音楽にも、映画にも、恋愛関係にだって持ち込もうとしているってことなんじゃないかと思う。
Likeボタンがやろうとしていることはまさにそう。
だって、Likeボタンなんだし。
これからはSearchEngineOptimizeのSEOじゃなくて、
SocialNetworkOptimizeのSNO?をみんなが躍起ならないといけない時代が来るのかな?(笑)
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ソーシャルとは何なのか。ソーシャルで何が変わるのか。
GoogleからFacebookにネットの主役が変わるということはどういうことなのか。
それは言い方を変えれば
「Bestでなくていい。Betterでいい。」
ということなんだと思う。
検索エンジンを使って情報を探すということはある意味でBestを探すことだと思う。
たとえばいま僕がワインを買いたいとしたら、一番おいしいワインはなんだろう?
欲しいワインが見つかったら、一番安く売っているのはどこだろう?
価格比較サイトの需要も、もちろんそういった需要をとらえていると思う。
これは検索エンジン時代の情報の探し方ともいえる。
Bestを探す。一番良いページはどれ?
じゃぁ、Facebookの友人たちがTimeLineに流していく情報が起点になるっていうのは言い換えれば別にBestじゃなくてもいいよ、でも彼が進めているからWorstでもWorseでもなくて、Betterでしょ?じゃぁいいじゃん。
彼がおいしいって言ってるし、彼女もおいしいって言ってる。
じゃぁ、Bestじゃないかもしれないけど、きっとBetterだ。
Google Newsでいま起きているニュースを隈なく見ている人ってどれぐらいいるかな?
実は結構TimeLineに流れてくる、自分の交友関係やfollowしている人たちが気になったニュースだけで事足りることないかな?
全部の情報を見ないと気が済まない。
全部の情報の中からBestを選ばないと気が済まない。
たしかに、それが10とか100の中からならまだそうかもしれないけど、
それが1000になって10000になって、なんて増えていくと、
Betterでいいよね、ってなることってないかな。
GoogleからFacebookに移っていくってことはそういうことじゃないかな、と思うし、ソーシャルが変えていくことはそういうことだと思う。
多くの人が使うデバイスがPCからSmartPhoneを含めた携帯に移っていくと、残念ながらPCのようにあっちのページも、こっちのページも見て回る、昔でいえばネットサーフィン的なネットの見方っていうのはちょっとイラっとしてしまう。
回線速度の問題もあれば、処理速度や、ディスプレイの大きさもあると思うけど、ネットの利用端末が携帯中心になることを止めるほどまでのわずらわしさではない。
となると、よりBestを探すことへのあきらめは強くなり、Betterでいいじゃんってことになっていくんじゃないかと思う。
Facebookには月間7000万人以上の人が携帯からアクセスしているし、毎日その半分の3500万人の人がアクセスしている。
すでに携帯大国である日本のNo.1キャリアより多い。
Facebookがいう
「Webのあらゆる場所がアクセスした瞬間からソーシャル”という状態を
作り出したい」
というのは
Betterであればいいじゃないか、という世界をゲームにも、ECにも、ニュースにも、音楽にも、映画にも、恋愛関係にだって持ち込もうとしているってことなんじゃないかと思う。
Likeボタンがやろうとしていることはまさにそう。
だって、Likeボタンなんだし。
これからはSearchEngineOptimizeのSEOじゃなくて、
SocialNetworkOptimizeのSNO?をみんなが躍起ならないといけない時代が来るのかな?(笑)
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2010年05月10日
ソーシャルとは何なのか。ソーシャルで何が変わるのか。
今年も年始にネットビジネスの潮流を書いていて、
2つ書いたところで、3つ目を書かないままもう5月に(苦笑)
なんかここ以外のところでアウトプットしていたら、
書く気持ちが薄れてしまって。
で、また最近アウトプット意欲が多くなってきて、
今度その辺の話題を濃いメンバーで朝まで激論会が開かれそうなので、
とりあえずアウトプットしてみることに。
若干アップデートされているかもですが、年始に書こうとしていたテーマ。
「ソーシャルとは何なのか。ソーシャルで何が変わるのか。」
ちなみにすでに書いた二つは
最近、F8(4月に開かれたFacebookのイベント)でのOpen Graph、Social Plugin(likeボタンとか)やFacebook Creditの戦略などの発表があり、彼らの目指す方向がだいぶクリアになってきた。
これらの発表は新しい話というよりかは誰もがFacebookはそのへんを狙っているだろうね、という風に考えたいたものが実際に発表された形という感触だけど、やはりそれが現実的に発表されたことの意味やすでに多くのサイトが実装し始めているLikeボタンの脅威などからも彼らがY!、googleときたネット時代の次の覇者であることは誰もが認めるところになったと思われる。
そして、前々回も書いたけど、この3社の変遷は僕らがネットを通じて情報をアクセスする手段の移り変わりを現していて、
一か所に情報を集め、そこから探してね、というポータル
世界中に散らばる情報へのアクセス手段を提供します、というサーチ
そして、あなたの交友関係というフィルタリングを通して情報を選んであげますよ、というソーシャルネットワーク
変遷の中で、サイト側ももちろん、対応していくことが必須になる。
ポータルからサーチへと変遷していく中ではSEOなる取り組みが重要視され、SEO関連の会社が数社上場をしていくまでになった。
これからソーシャルへの対応をうまくやれば、サイトへの集客、事業の成長につながるだろうし、逆もまたしかり。
いまはゲームがその相性の良さから、ソーシャルゲームという形で脚光を浴びているが、すでに今年はその注目がECに向きつつあり、GROUPONやMertadのようなサービスがでてきているし、これからはそのほかのすべてのインターネットサービスがソーシャルネットワークからの集客をどうするかに取り組まざるを得ない。
米国ではすでにFacebookはGoogleを抜きアクセス数が1位なのだから。
そんな中で、そもそもソーシャルとは何なのか、というところをもっと理解しないといけない。
Likeボタンを付ければソーシャル対応はOKなんてのはほんのひとときの対応にすぎない。
海外の人とかとソーシャルの話をする際に出てくる話の一つとしてマズローの欲求段階説の話がある。
マズローが唱える5段階とソーシャルの関係性に関してなのだが、なぜか話す人によって捉え方が結構違うし、ネットで調べてもそういった説明が見つからないのでここで自分なりの捉え方を。

(wikipediaより)
下から日本語にすると
1.生理的欲求(physiological need)
ここはインターネットにつながりたい欲求と定義。
ネットにつながらないということはこのトッピックにおいては生命維持と同義。
ISDNだろうが、ホテルの細い無線LANであろうがネットにまずはつながることができる環境にお金を払う。
2.安全の欲求(safety need)
常時接続、ブロードバンドな環境を構築したい欲求。
いつでも、どこでも、太い回線でネットにつながりたいということにお金を払う。
3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
ここからソーシャルが関係してくる
SNSの会員になって、おれもFacebookの会員だよ、という所属欲やその中で誰ともコミュニケーションがないと孤独を感じる。
また、周りがみんなやっているゲームやアプリに参加したいと思う。
同じようなゲームでもみんながやっているゲームに参加しないと話題についていけなかったりして、そこに不安を感じる
4.承認の欲求(esteem)
自分に多くの友達がSNSの中にいることで周りに対して優越感を感じる。
また、友達の中に著名人などがいることでも同様の感覚を感じる。
尊重のレベルは2つあり、
ソーシャルゲームを例にあげれば
低いレベルの方では、
ソーシャルゲームにおいてはレベルをあげたり、ランキングの上位にいったりしたい欲求で、競争意識よりは自己満足的な意識が高い。
そのためデコレーション系のアイテムよりも成長促進などゲームが前に進む系のアイテムにお金を払う傾向がある。
また、自己満足的な欲求のためここまでいったらいいか、という納得感が出ると満たされてしまう。
一方高いレベルでは
自己顕示欲に近く、自分の村や、水槽が人よりも豪華であったり、珍しいアイテムが置いてあることで、人から羨ましがられたいと思う欲求。
その中で逆に誰かに何かしてあげるという欲求が承認欲求を満たすこともあり、友人にアイテムを上げたりとか、友人のゲームの進行を手伝ってあげたりとか。
こういった人たちはソーシャルゲームにお金をたくさん払うヘビーユーザーともいえる。
ソーシャルゲーム自体が人に見てもらうような導線設計、見せびらかしたいショーケース的な設計がないとここの欲求がそもそも起こらないため、ゲーム寿命が短くなる傾向がある。
5.自己実現の欲求(self actualization)
これはコンソールゲームでも起きる欲求で、レベルを99にしたい、すべてのアイテムをそろえたい、すべてのクエストをクリアしたい、といったゲーム内で出 来ることはすべてやりつくしたいという欲求。
ソーシャルゲームでも同様でコンプリート欲やaward欲などそろえたい欲求はここに類する。
この人たちはコンプリートするためならお金と時間をいとわず使う傾向がある。
また才能の無駄遣いといわれるような個人がハイクオリティなコンテンツを無償でYoutubeなどにアップロードする欲求は4の高いレベルの承認欲とこの自己実現の欲求によって成り立っていると考えられる。
逆にいえばその設計なしにどんどんコンテンツをアップロードしてくれよ、ということはなかなか難しく、えてして金銭的欲求に訴えることになってしまう。
ソーシャルな設計や機能はこの5段階説の3-5をどのように満たしていくかと密接に絡んでいる。
これからのサイト設計はこういったことを念頭に置いて設計していく必要があるというわけだ。
そしてソーシャルによって何が変わるか。
そもそもポータル、サーチの時代もこれらのサイトへの導線と広告は密接にからんでいた。
検索エンジンの検索結果とうまく相性がよい広告がリスティング広告であったように、ソーシャルな時代に相性が良い広告はこれからきっと生まれてくると思う。
注目すべきは誰に対して開かれた広告商品なのか、ということで、ポータル時代はお金があり、倫理基準に則していれば誰でもがバナー広告を好きなだけ出稿できた。
しかし、検索時代はそもそも出したい広告に関連するクエリーの数までしか広告は出せず、結果として広告主を選び、広告予算を選ぶ結果となっている。
ソーシャルがwebのトラフィックの覇権を握った時にその門戸がより狭くなるのではないかと考えられる。
いくら広告を出したくても、だす体力があっても、例え出せてもCPCやCPAベースで見合った効果があるかわからないし、そもそもCPCとかCPAとかではない新しい指標で評価することになるだろう。
そうなると、企業はそもそも自分たちのサービスをソーシャルに対応するしか道がなくなってしまう。
逆にいえば、ソーシャルにうまく対応した新興企業が急速に台頭してくるチャンスがある。
Google時代にSEOを先立って駆使してトラフィックを急速に伸ばし急成長した企業例はたくさんあるように。
ソーシャルで何が変わるのか。
企業のサイトは昔SEOに対応したようにすべてのサイトがソーシャルの対応をせざるを得ないし、
また今ないサービスが急成長を遂げるチャンスがある。
10年前、Googleがすい星のように現れ、
「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。」
というGoogleの使命にみんなが心躍り、歓喜し、彼らをネットの神とまで崇めるようになった。
彼らはその使命どおり、僕たちが世界中の情報にアクセスできるようにするために図書館の本をネットにあげることや、宇宙の情報にまでアクセスできる手段を提供してくれた。
一方、先日、Facebookは
「Webのあらゆる場所がアクセスした瞬間からソーシャル”という状態を
作り出したい」
と宣言した。
それはGoogleの使命に真っ向から対峙するような宣言ともとれた。
彼らは着実に僕たちの個人のライフログをかき集めることに成功している。
人間関係、アドレス帳、今何をしているか、僕らが持っている動画や写真などのコンテンツ。
そしていまFacebookがほしくて手に入れようとしている僕らの情報は僕らがどこにいるかという位置情報だ。
彼らはこう言っているようにも見える。
「世界中の情報にアクセスできる必要なんてない。僕らが欲しているのは僕らの身の回りで起こっている情報だけで十分なんだ」
世界中の情報を集めるGoogleと個人のライフログを集めるFacebook。
本当にGoogleが唱えるような世界中の情報にアクセスできることが僕たちに必要なのか。
本当にFaceBookが掲げた、自分の交友関係が発する情報こそが僕たちの判断基準なのか。
いまネットは再び本当に面白いタイミングに来ている。
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2つ書いたところで、3つ目を書かないままもう5月に(苦笑)
なんかここ以外のところでアウトプットしていたら、
書く気持ちが薄れてしまって。
で、また最近アウトプット意欲が多くなってきて、
今度その辺の話題を濃いメンバーで朝まで激論会が開かれそうなので、
とりあえずアウトプットしてみることに。
若干アップデートされているかもですが、年始に書こうとしていたテーマ。
「ソーシャルとは何なのか。ソーシャルで何が変わるのか。」
ちなみにすでに書いた二つは
1.ネットワークの次はリアル
2.課金ビジネスはロングネックへ
最近、F8(4月に開かれたFacebookのイベント)でのOpen Graph、Social Plugin(likeボタンとか)やFacebook Creditの戦略などの発表があり、彼らの目指す方向がだいぶクリアになってきた。
これらの発表は新しい話というよりかは誰もがFacebookはそのへんを狙っているだろうね、という風に考えたいたものが実際に発表された形という感触だけど、やはりそれが現実的に発表されたことの意味やすでに多くのサイトが実装し始めているLikeボタンの脅威などからも彼らがY!、googleときたネット時代の次の覇者であることは誰もが認めるところになったと思われる。
そして、前々回も書いたけど、この3社の変遷は僕らがネットを通じて情報をアクセスする手段の移り変わりを現していて、
一か所に情報を集め、そこから探してね、というポータル
世界中に散らばる情報へのアクセス手段を提供します、というサーチ
そして、あなたの交友関係というフィルタリングを通して情報を選んであげますよ、というソーシャルネットワーク
変遷の中で、サイト側ももちろん、対応していくことが必須になる。
ポータルからサーチへと変遷していく中ではSEOなる取り組みが重要視され、SEO関連の会社が数社上場をしていくまでになった。
これからソーシャルへの対応をうまくやれば、サイトへの集客、事業の成長につながるだろうし、逆もまたしかり。
いまはゲームがその相性の良さから、ソーシャルゲームという形で脚光を浴びているが、すでに今年はその注目がECに向きつつあり、GROUPONやMertadのようなサービスがでてきているし、これからはそのほかのすべてのインターネットサービスがソーシャルネットワークからの集客をどうするかに取り組まざるを得ない。
米国ではすでにFacebookはGoogleを抜きアクセス数が1位なのだから。
そんな中で、そもそもソーシャルとは何なのか、というところをもっと理解しないといけない。
Likeボタンを付ければソーシャル対応はOKなんてのはほんのひとときの対応にすぎない。
海外の人とかとソーシャルの話をする際に出てくる話の一つとしてマズローの欲求段階説の話がある。
マズローが唱える5段階とソーシャルの関係性に関してなのだが、なぜか話す人によって捉え方が結構違うし、ネットで調べてもそういった説明が見つからないのでここで自分なりの捉え方を。

(wikipediaより)
下から日本語にすると
- 生理的欲求(physiological need)
- 安全の欲求(safety need)
- 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
- 承認の欲求(esteem)
- 自己実現の欲求(self actualization)
1.生理的欲求(physiological need)
ここはインターネットにつながりたい欲求と定義。
ネットにつながらないということはこのトッピックにおいては生命維持と同義。
ISDNだろうが、ホテルの細い無線LANであろうがネットにまずはつながることができる環境にお金を払う。
2.安全の欲求(safety need)
常時接続、ブロードバンドな環境を構築したい欲求。
いつでも、どこでも、太い回線でネットにつながりたいということにお金を払う。
3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
ここからソーシャルが関係してくる
SNSの会員になって、おれもFacebookの会員だよ、という所属欲やその中で誰ともコミュニケーションがないと孤独を感じる。
また、周りがみんなやっているゲームやアプリに参加したいと思う。
同じようなゲームでもみんながやっているゲームに参加しないと話題についていけなかったりして、そこに不安を感じる
4.承認の欲求(esteem)
自分に多くの友達がSNSの中にいることで周りに対して優越感を感じる。
また、友達の中に著名人などがいることでも同様の感覚を感じる。
尊重のレベルは2つあり、
ソーシャルゲームを例にあげれば
低いレベルの方では、
ソーシャルゲームにおいてはレベルをあげたり、ランキングの上位にいったりしたい欲求で、競争意識よりは自己満足的な意識が高い。
そのためデコレーション系のアイテムよりも成長促進などゲームが前に進む系のアイテムにお金を払う傾向がある。
また、自己満足的な欲求のためここまでいったらいいか、という納得感が出ると満たされてしまう。
一方高いレベルでは
自己顕示欲に近く、自分の村や、水槽が人よりも豪華であったり、珍しいアイテムが置いてあることで、人から羨ましがられたいと思う欲求。
その中で逆に誰かに何かしてあげるという欲求が承認欲求を満たすこともあり、友人にアイテムを上げたりとか、友人のゲームの進行を手伝ってあげたりとか。
こういった人たちはソーシャルゲームにお金をたくさん払うヘビーユーザーともいえる。
ソーシャルゲーム自体が人に見てもらうような導線設計、見せびらかしたいショーケース的な設計がないとここの欲求がそもそも起こらないため、ゲーム寿命が短くなる傾向がある。
5.自己実現の欲求(self actualization)
これはコンソールゲームでも起きる欲求で、レベルを99にしたい、すべてのアイテムをそろえたい、すべてのクエストをクリアしたい、といったゲーム内で出 来ることはすべてやりつくしたいという欲求。
ソーシャルゲームでも同様でコンプリート欲やaward欲などそろえたい欲求はここに類する。
この人たちはコンプリートするためならお金と時間をいとわず使う傾向がある。
また才能の無駄遣いといわれるような個人がハイクオリティなコンテンツを無償でYoutubeなどにアップロードする欲求は4の高いレベルの承認欲とこの自己実現の欲求によって成り立っていると考えられる。
逆にいえばその設計なしにどんどんコンテンツをアップロードしてくれよ、ということはなかなか難しく、えてして金銭的欲求に訴えることになってしまう。
ソーシャルな設計や機能はこの5段階説の3-5をどのように満たしていくかと密接に絡んでいる。
これからのサイト設計はこういったことを念頭に置いて設計していく必要があるというわけだ。
そしてソーシャルによって何が変わるか。
そもそもポータル、サーチの時代もこれらのサイトへの導線と広告は密接にからんでいた。
検索エンジンの検索結果とうまく相性がよい広告がリスティング広告であったように、ソーシャルな時代に相性が良い広告はこれからきっと生まれてくると思う。
注目すべきは誰に対して開かれた広告商品なのか、ということで、ポータル時代はお金があり、倫理基準に則していれば誰でもがバナー広告を好きなだけ出稿できた。
しかし、検索時代はそもそも出したい広告に関連するクエリーの数までしか広告は出せず、結果として広告主を選び、広告予算を選ぶ結果となっている。
ソーシャルがwebのトラフィックの覇権を握った時にその門戸がより狭くなるのではないかと考えられる。
いくら広告を出したくても、だす体力があっても、例え出せてもCPCやCPAベースで見合った効果があるかわからないし、そもそもCPCとかCPAとかではない新しい指標で評価することになるだろう。
そうなると、企業はそもそも自分たちのサービスをソーシャルに対応するしか道がなくなってしまう。
逆にいえば、ソーシャルにうまく対応した新興企業が急速に台頭してくるチャンスがある。
Google時代にSEOを先立って駆使してトラフィックを急速に伸ばし急成長した企業例はたくさんあるように。
ソーシャルで何が変わるのか。
企業のサイトは昔SEOに対応したようにすべてのサイトがソーシャルの対応をせざるを得ないし、
また今ないサービスが急成長を遂げるチャンスがある。
10年前、Googleがすい星のように現れ、
「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。」
というGoogleの使命にみんなが心躍り、歓喜し、彼らをネットの神とまで崇めるようになった。
彼らはその使命どおり、僕たちが世界中の情報にアクセスできるようにするために図書館の本をネットにあげることや、宇宙の情報にまでアクセスできる手段を提供してくれた。
一方、先日、Facebookは
「Webのあらゆる場所がアクセスした瞬間からソーシャル”という状態を
作り出したい」
と宣言した。
それはGoogleの使命に真っ向から対峙するような宣言ともとれた。
彼らは着実に僕たちの個人のライフログをかき集めることに成功している。
人間関係、アドレス帳、今何をしているか、僕らが持っている動画や写真などのコンテンツ。
そしていまFacebookがほしくて手に入れようとしている僕らの情報は僕らがどこにいるかという位置情報だ。
彼らはこう言っているようにも見える。
「世界中の情報にアクセスできる必要なんてない。僕らが欲しているのは僕らの身の回りで起こっている情報だけで十分なんだ」
世界中の情報を集めるGoogleと個人のライフログを集めるFacebook。
本当にGoogleが唱えるような世界中の情報にアクセスできることが僕たちに必要なのか。
本当にFaceBookが掲げた、自分の交友関係が発する情報こそが僕たちの判断基準なのか。
いまネットは再び本当に面白いタイミングに来ている。
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